(文学的な)歴史

金曜日の授業でとても面白い質問が起こった。「歴史を学ぶ」とはどういうことでしょうか?この質問からとかの質問も起こる。「正しい歴史観が存在しますか?」、「一つの真実がありますか?」などの質問。
歴史を説明するのは話すをすることに似ているね。後景を設定したり、人物の動作を描いたり、原因と結果を表したりする能力は歴史を説明しても話をしても必要だ。だから「正しい」と言われる立場は存在しない。
五月にスコットランドにまだ住んでいるうちに、トルストイの「戦争と平和」という小説を読んだ。

f:id:kyliewinger:20180722170838j:plain

でも、私はその作品を「小説」と呼んで、トルストイはその作品は小説だと言われなかった。ロシアとフランスの18世紀の戦争についての物語だから、トルストイはたくさん研究しなくてはいけなかったそうだ。歴史と文学の間で生まれた作品だと考えられた。それで歴史に関する考えもいっぱい入っている。最も主な考えはこれだ:歴史は一人の人物の話じゃなくて、みんなの動作や意図や希望が重なって、混ぜって作った話だ。トルストイは歴史と微積分を比べるまでこの考えを説明する。だから作品の構造も一人の話じゃなくて、色々な人物の話が長い間(30年ぐらい)に出てくる。
たくさん歴史についての段落が入っているので、「戦争と平和」を読んでいる時、大学二年生の時に古代ギリシャ文学の授業で読んだ作品が思い浮かべた。タイトルは古代ギリシャ語で:ἱστορια。英語で: The Histories. 日本語で:「歴史」。作家はヘロドトスというアテネ人だった。

f:id:kyliewinger:20180722170659j:plain

英語の「歴史」に当たる言葉はこの作品のタイトルから来た。古代ギリシャ語では、「ἱστορια」という言葉の元々の意味は「質問」の意味だった。なぜなら、ヘロドトスがこの作品を書いた目的はギリシャペルシャの戦争の原因について調べたり、説明したりしたかったからだ。だから作品の最中に質問がある。その質問を答える方法は色々な人物の動作と意図を分析して、ギリシャの立場だけじゃなくて、ペルシャや他の文化の立場も見せる方法だ。文学的な方法だから、文学のように読める作品だ。

やっぱり、歴史を学ぶのは、質問を答えよとすると、解釈の代わりに新しい

質問を見つける分野だね。